ふるふる図書館


星降る夜に会いましょう



 色とりどりに飾られた街は、主役のはずの星のきらめきをくすませる。
 僕が嘆くと、肩を並べてそぞろ歩いていたイリはいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「とっておきの場所があるんだ」
 イリと僕とは赤子以来の付き合いだ。何かを思いつき、持ちかけてくるのはいつでもイリの方だった。どんな計画も提案も、僕の好みをはずしたためしが一度もない。「今すぐ行こう」と駆け出すイリに、「どこへ」と問うのは野暮というもの。
 だけどさすがに今夜ばかりは、イリの正気を疑った。足を止めれば、そびえていたのはニール神の教会堂! まさかこの屋根にのぼるって?
 イリはけろりと肯定した。いくらなんでも不敬にすぎる発想だ。恐れ知らずもここまでくると重症だ。僕はにわかに不安になった。
「まじめに<教育>を受けているよね? イリ」
「もちろんあのうっとうしい“カチューシャ”は大嫌いだよ。でも<学校>はごまかしが通用するほど甘くないってわかってる」
「だったら」
「シーエ、僕の誘いに乗って後悔したこと、一度でもあった?」
 僕のためらう顔をのぞきこむ、屈託のない無邪気な態度。軽いためいきがもれた。
「ずるいな。イリは」
「何が」とは聞かれなかったし僕も解説しなかったけど、承諾を表す合図はそれでまったく充分だった。僕たちはずっとそうなのだ。余計なことを喋らなくても通じ合う。長年続いたふたりの流儀だ。
 僕を見つめたまま眼を輝かせるイリは、やっぱりずるい。そういう表情をされては、断ることなどできっこない。
 夜空の星より明るくまたたくイリの瞳を間近にすれば、僕はそれで満足なんだ本当は。

 たしかに教会堂のてっぺんは、街のどこよりいちばん高い。申し分ない見晴らしだった。
「ね、誰にも見つからなかっただろう。心配いらない、今宵は星祭りだもの。さあ、お望みどおり満天の星空だ。どう、この眺め。全部すっかりシーエのものだよ」
 僕たちの暮らす要塞衛星は空を天蓋ですっぽり覆われ、外部から完全に遮断されている。解除され、本物の空があらわになるのは、年に一晩、星祭りだけ。まき散らされる数え切れない光のかけらを、しかし僕は打ちやった。イリが不思議でならなくて。
 禁じられた道を見つけるなどと大それた芸当を、一体いつの間にやってのけたんだ。言動も脳波もすべて常に“カラ”にデータを取られ、監視され、チェックを受けてる僕たちなのに。
 僕の疑念にイリはにっこり。
「シーエ、好きだろう星が。だから探した」
 さっぱり答えになってない。
「僕にとっては星なんて、おもしろくもなんともない。でも星祭りはうれしいね。じゃまっけな“カラ”から解放されるのは今日だけだしさ」
 剥き出しの首筋を向けて、眼下に広がる景色に視線を投げた。
「空よりも街を彩る灯の方が断然素敵だ。残念だな、飾りつけは小さな子の特権か」
「僕たちもやっただろう」
「シーエったら、上手にできないっていつも泣きべそかいていたよね」
「ひどいな、古いことを持ち出して。そのたびに手伝ってもらったのは感謝してるよ」
「いいじゃないか、いくら手先が不器用でも、おまけにどんなに泣き虫でも、歌は昔から巧いもの。星祭りの舞台に立つのは毎回シーエだ。ほら、おはこがあったろう」
「星に願いをかけるなら、どんな望みも叶うでしょう」
 請われてひとふしくちずさんだ。イリにはからかいの種だけど、僕はたいそう気に入っていた、旋律も歌詞も。いつどこで誰が作った曲かは不明。ここに住む者は誰もが、“偉大なるニール神の慈悲深き恩恵”によって均一の物資や身体を与えられている。願いごとなどあるわけない。
「そう、馬鹿らしくておかしい詞。でもシーエが歌うのなら聴きたい。シーエの声が僕好きだ」
 過去ばかり話すのはイリらしくなくて、不審に感じた。イリの休暇の予定すら、まだ知らなかった。たずねると、イリは不意に真顔になった。
「お別れだよ。故郷に移住するんだ」
「お別れって? どこに行くの? 故郷って? みんな、ここで産まれたんじゃないか。この、ニールの教会堂で。イリだけ違うはずない。ありえない」
「僕は、シーエたちみたいに、“ニールより生まれいずる子供”じゃなかったそうだ。異邦の住民だったんだ。赤ん坊のときにここに遺棄されていたんだって。教会堂は子供を捨てる場所じゃないのにね。先日、家族が見つかったって通達があったよ。家族と同じ住居で生活するのが、故郷の習慣らしいんだ」
 家族? 未知の単語だ。理解不能な話をするイリは、はるか遠くに感じられた。
「それに、シーエたちとは生殖のやりかたが別だ。相手の体の一部をacceptして、細胞をimplantされる。臓器内で異物を育てるんだ、僕の体を突き破りそうに成長するまで」
 ますます、イリの言葉は不可解になった。子供は全員<教育>プログラムをほどこされ、統制語を使わない会話はできない。その常識はまたしても、イリに崩され覆された。
「ここにいたら、子孫を残すという義務が果たせない。少なくとも純血統の子はなせない。だからここにいられない」
 背筋が戦慄した。義務が果たせないなどと恐ろしいことを平然と口にできるイリに。“カラ”を装着していたら、ただちに<委員会>に知られ、すぐさま<処分>されるところだ。“パパ”は子供たちの感情も言語も思考も制御する。
 厳重な管理と支配の中で生きる僕たちのうち、イリだけが枷を逃れている。
 僕は悟った。“カチューシャ”に干渉も影響も受けないイリ。僕が憧れ惹かれ続けた大胆不敵さ。追いつけないほど彼方に臨むまなざし。それは、イリが異なる生命体だったからなのだと。
「さよならするなら早いうちがいい。今でこそ見かけはシーエとそっくりでも、すぐに変態してしまう。体のあちこちに脂肪がつくんだ。内面だって作用されるかも知れない。変わり果てた醜い姿を見られたくないよ、シーエには」
 どんなときにもイリがいた。当たり前だと思ってた。ずっとそうだと信じてた。
「かまうもんか。僕はイリの友達でいたい」
「もし再会できたって、シーエは僕がわからないよ。シーエの知っているイリはどこにもいなくなる」
 僕はきっぱり否定した。それほどまでに鮮烈な光を宿す双眸は、イリ以外の誰のだっていうの。
「明日にはまた“パパ”の支配に戻るんだよ。僕が街を離れれば、シーエの中のイリに関するメモリはすっかり消去される。一切の僕のデータは削除されるだろうね。僕は異端だもの。社会にとって忌むべき存在。崩壊を招き、堕落させ、滅ぼす危険分子さ。そう、忘れるべきなんだ。僕はそもそもいなかったことになれば、シーエもさびしくない」
「イリまで、僕からイリを取り上げないでよ。そんなのいやだよ」
 発光しているように視野が滲んだ。イリが指で拭うほど滴はあふれてしたたり落ちた。
「ずるいな。シーエは」
 天を仰いで、イリは吐息をひとつこぼした。「何が」とはたださなかったし、イリも語らなかった。
「ねえシーエ。僕が星に興味がないのはね、シーエの涙と比べてしまうせいだ。星なんかよりきれいなものを、毎年この日に目にしてきたんだよ」
「それなら、せめて星祭りくらいはふたりでいよう。来年も再来年もその先も。“カラ”を取ればイリのこと、思い出すよ絶対に。たとえメモリを失っても。約束する。ね、イリ、お願い」
「星に願いをかけるなら、どんな望みも叶うでしょう――か」
 耳元で、イリの低いつぶやきがした。
「星をあてにするとは、つまらないし意味がない」
 イリの手が僕の頬を包み、“カラ”をはずされている頸椎をたどった。
「星にではなくて、シーエに誓う。星祭りにここに帰ってくる。もし僕が誰かの<物>になったとしても。何が起きても、一年に一度、僕はシーエの前に現れる」
「僕たちきっとまた会えるんだね? 待ってる。僕はイリを見つけるよ。イリがどんなに変わっても、本物のイリを僕が必ず見つけ出す」
 星祭りの夜の、たったひとつの秘めごと。
 それは咎なのだろうか。
 星祭りの晩の、たったひとつの願いごと。
 それは罪なのだろうか。
 会えば過ちを犯すことになるなんて、考えもしなかった。
 ただ、イリに会いたい。同じ種族じゃなくたって。一緒にいたい、それだけなんだ。

 ――星に願いをかけるなら、どんな望みも叶うでしょう。たとえ誰であろうとも、心の底から祈るのならば――

20070714
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