ふるふる図書館


おまけ9 ビー・マイ・エンジェル



 俺はつかつかマッハの速さで歩を進め、バイト先の上司に詰め寄った。胸倉をつかみあげんばかりの俺の迫力にもとんと動じない木下さんは、鼻でもほじりそうなのほほんさで「どーした?」なんて聞いてくる。俺の怒りにガソリンぶちまけて手榴弾と四尺玉を投下するかのごとき無神経さ。
「木下さんの変態! あほ! 死んでしまえ馬鹿!」
「まあ二百年後にはお前の希望がかなうと思うけどー」
「今すぐただちに、です! 俺のこの目の前で! 召されてください天にっ」
「待て待て落ち着きなよ若いの。いったいどーしたんだお前はいつもは心のやさしい子なのに。冷たい雨に打たれて濡れそぼって腹を空かせてみーみー力なく鳴いてるあわれな捨て猫を拾ってくるようなお前がいつからそんな乱暴な言葉遣いをするよーになったんだ兄ちゃんかなしいぞ。かなしみブルーだぞ」
「だ! 誰がいつそんな捨て猫拾ったよ! だいたい、俺のこと陥れたのはアンタだろーが!」

 あのとき。運転席の木下さんと、助手席に座っていたまだ十八だった俺は、あるときたわいもないゲームをした。言いだしっぺは木下さんだ。
「上に『なま』って言葉をつけられる言葉を言っていこうぜー。交互に出していって尽きたら負け」
 俺は真面目に考えた。木下さんももちろん真顔だった。生麦、生米、生卵、生ハム、生ごみ、生野菜、生放送、生ビール、生もの、生ジュース、生テレビ、生意気、生菓子、生わさび、なま、なま、なま……。
 貧相な頭をぎゅうぎゅうしぼって考えた。健闘むなしく先にネタが切れて負けたのは俺だった、けど。
 やっぱ本をたくさん読んで頭のいい人は思いつくゲームもボキャブラリーも俺とはまったく違うんだななんて、少し感心したりして。あっほんとに少しだけど! ほんのちょっぴりだけど! だけど尊敬みたいな気持ちになったのはたしかで。

「あれ、ぜったいに俺にやらしーこと言わそうとしたんでしょ! なんだよ人が真剣にやってんのによー!」
 くそう一所懸命やればやるほど俺馬鹿みてーだったじゃんかよー。
「それいつの話だよ? つか今さらそういう疑念を抱いたのか?」
「わ、悪かったですね今さらで!」
「うっわ。なにそのイノセンス。そのうち妖精さんだな」
「ハア? なんですかそれ」
「清い体でいると妖精さんになれんだよ。それとも魔法使い? あっ天使だったっけ」
 木下さんは、至近距離にある俺の顔をしげしげ見つめた。不意に我に返って、俺はばばっと木下さんから離れた。
「そーならないよーに俺が一肌脱いでやろっか。あーお前も脱がないといけねーけど」
「ぎゃあーーーー」
 俺はあられもない悲鳴を上げた。
「真顔で言うな怖いわ! 俺のことをそんな目で!? 俺は天使でいい! いいからそんなこと心の底からしたくねー! ふざけんな」
 悪鬼の形相で叫んだのに、木下さんは嬉しそうに笑う。なんで俺の攻撃は毎度毎度きかねーんだー!
「天使! 天使! エンジェル! エンジェル!」
 手拍子足拍子するかの勢いで連呼する木下さん。
「俺が天使ならマジで昇天させてやる」
「やったーお願いしまーす」
 能天気に喜色満面。なんでだよ。よろこぶところじゃねーっつーのっ!
 ちくしょう、今にみてろ、俺はらぶらぶ彼女を見つけるんだあああー。そのときになって吠え面かくなよ!

20081207
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