ふるふる図書館


おまけ8 ホワッツハプン・ホワイトデー



 俺が手作りのチョコレートケーキを木下さんとふたりで食べたのは、およそひと月前のことだ。
 そうしたら、お返しをもらえる事態と相成ってしまった。
 誤解されそうでマジでマジで超いやなんだが、ものっそいいやなんだが、思いっくそいやなのだが、おりしもカレンダーはホワイトデーなのだった。
「ねーねーなんか食う?」
 並んで街を歩きながら木下さんがきゃいきゃいとはしゃいでいる。二十代も半ばのくせに。
「騒がないでくださいうざいです」
「うっわー容赦ないなー」
 嬉しそうだ。
「キモイ」
「そんなこと言われたら照れるじゃん」
「マゾ」
「ツンデレ」
「はあ? だっ誰がツンデレですか! そ、そんなんじゃないんだから!」
「うはーはじめてほんものを見た、ツンデレのテンプレリアクション」
「うぐっ」
「実在してるんだなー。これはぜひワシントン条約で保護してもらわんとなー」
 なんで、いつのまにか俺がいじめられてんだろ。俺が尽くされ貢がれる日なんじゃないのか?
 道行く人が俺たちのことをじろじろ見る。あるいは露骨に視線を逸らす。うつむいて顔を赤らめ肩をふるわせる。なんだなんだこの空気?
「うーんこんな可愛い子の気持ちに応えることができるなんてやれ嬉しや。いやーハッピーほわ」
 イトデー、と続けようとしたとおぼしき声は木下さんののどにたちまち逆戻りしていった。俺が手で口をしっかとふさいだからだ。
 なーにが、ほわ、だ。間抜けな声出しやがって。
 木下さんがちたぱた暴れた。苦しくなってきたみたいだ。鼻までふたしてるのはもちろん故意に決まっている。
 ほわ、ほわ、ほわ。
「What's happened?」
 顔をのぞきこむと、ほっぺたを赤くしてうるうる涙目で俺を見た。窒息しているせいだけど。しっ仕方ないな、ほだされてやろう。
 あー肺のあたりがほわほわする。
「帰っていいですか?」
「えー? なんで」
 アンタのことが恥ずかしいんです! とずばっと言ってやりたかったのに、そのあまりの意気消沈っぷりに、ぐっと言葉を飲みこんでしまった。なんたる失態。
「俺のせいか? 俺がお前にいやな思いさせてんのか」
 なんだよしおらしくしてんじゃねーよ! 俺より七こも上のくせして!
「だからもうここで別れるのか? 来たばかりなのに」
 ふう、と俺は吐息をついた。体の奥のほわほわが、なめらかな発声を妨げる。
「ちがいますよ。木下さんの家に帰りましょうって言いたかったんです」
「ほへ?」
「DVDでも見てのんびりしましょうよ。俺、お茶いれますから」
「今日はお前、ぜいたくしていい日なんだぞ?」
「だって、落ち着かないです。大人にたからず食い物にせず、おとなしく過ごしますよ」
 木下さんもふう、と息を吐いた。俺と一緒でほわほわしてんのかな。
「わかった。ごめん」
「なにがですか」
「人前では堂々といちゃいちゃできないんだな」
「いっ……?」
 いちゃいちゃ?
「ふたりきりのときだけにする」
「はあ? そんなの嘘でしょ。仕事のときだってべたべたしてくるくせに!」
「あんなのいちゃいちゃのうちに入らん。スライムよりはるかにレベル低いぞ」
 剣呑きわまることをのたまう。レベル1の俺が危ない。
「あの、俺帰っていいですか?」
「さっきからその話してんじゃん」
「じゃなくて! ひとりで! 桜田家に帰ります!」
「けんかして実家に帰りたがる嫁みてーだなあ」
 軽口をたたきながらとつぜん俺の手をつかまえて、無人の路地裏にひきこんだ。
「公葵」
 低く甘くやさしく柔らかく耳に響く声。それは俺の力をことごとく封じる呪文。マホトーンかよ。
「リレミト」
「ん?」
 このダンジョンから脱出したくてつぶやいた呪文は、ドラクエの世界でない日本においては当然なんの効力もなかった。
「ほんとに帰りたいのか? そんなの後でだってできるだろ。映画館でも水族館でも遊園地でも動物園でも、好きなところ言えよ。アメ横でもかっぱ橋でも」
 かっぱ橋は魅力だな。なべとかざるとか蒸籠とか見たい。だけどそれ、俺だけの趣味じゃん。
「さもないと、俺とふたりきりならそれで充分で、どこにも行かなくてもいいんだって思うことにしちゃうぞう」
 うわ。それやだ。やだけど俺……。
「じゃあTSUTAYA。『24』が見たいんです」
「相変わらず欲のない子だなー」
 腕をまわして俺の体を拘束した。それほど強い力じゃないのに動けない。
「ごめんな」
「ごめんなさい」
 木下さんとふたりで街を歩くこと、本当はいやなんかじゃないんだ。もう少しまともな格好をして、もう少し声のトーンを落として、もう少し手振り身振りを小さくして、もう少し落ち着いて、もう少し目立たないようにして、もう少し俺から離れてくれれば俺はぜんぜんかまわないんだ。
 って、ぜんぜん駄目駄目じゃんか木下さん!
 だから。じっとしてくれているのは好都合なはずなのに。こうしていると、肺からはじまって声帯や心臓にまでも転移したほわほわがおさまらない。
 早く、早く「24」を見ようよ。ジャック・バウアーの無茶っぷりにはらはらしながらもツッコミ入れまくろうよふたりでさ。

20090309
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