ふるふる図書館


051



「まあ、お似合いですよ、坊ちゃま」
 使用人たちは、僕が服をあつらえるたびに口をそろえてほめそやしたものだった。
「まあ、お似合いじゃないの、チハルちゃん」
 よろこんですすめる母を見ていたら、そんな過去の光景が思い出された。
 たしかに、写真の女性は美しかった。家柄も申し分がなかった。
 見合い写真や釣書を見て、知りもしない相手のことをあれこれ品定めするのは好きになれない。
 しかしそう口にすれば、相手は百も承知で書類をよこしてくるのだと諭されるのが関の山だろう。こちらがまだ二十歳で学生の身分なのだから早すぎると言っても、きっと同じことだ。
「お母さま、そんなにあわててフィアンセを決めなくてもだいじょうぶですよ。婚約という名目でしばりつけなくても、僕はこの家から逃げませんから」
「いやだわ、そんなつもりじゃなくてよ、お母さまは」
「いずれにせよ、今のところは考える気になれません」
「もう帰ってしまうの? お待ちなさい、車で送らせるわ」
「いいえ、僕は電車に乗ります」

「あれ、早かったね、ハル。お母さんの具合はいいの?」
 アパートで留守番してくれていたナツがたずねた。アキはもう眠っていた。
「だまされちゃった。母はただの軽い風邪。家に呼ばれたのは、縁談をすすめるためだったよ」
 僕に紅茶の入ったカップを渡しながら、ナツは鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をした。
「縁談? お見合い?」
「うん。断ってきたけど。いずれは受け入れることになるんだろうね」
「そ、そうなんだ」
 子供のころ、ナツと僕はよくからかわれた。男の子じみたナツと、女の子みたいな僕がふたり一緒にいるのはお似合いだと、ことあるごとにはやされたのだった。
「ハル、結婚相手は見合いで決めるの?」
「たぶんね」
「ハルの理想ってさ。ハルよりも、アキとおれのことを気遣えるひとだよね。誰もいないってハルは言ってたけど、おれ、ひとり知ってるよ」
「誰のこと?」
 僕がナツを見ると、ナツは伏せた目のふちをほんのりと赤く染めた。
「ナツのこと?」
「うん」
「そういえばそうだね」
 僕もなんとはなしに視線を落とし、紅茶の湯気を見つめた。
「ナツ、きみは僕の友だちだから」
「うん。でもさ、おれだけはわかってるんだよ。ハルが女の子だっていうこと」
 僕はまぶたを閉じて、息をついた。女のひとの体をおかすのを恐れている。怖がっている。なのに僕は男で、そうしないといけないことになっている。
「だから、ハルに無理強いしない。もし結婚したって友だちのまま、夫婦にならなくたっていい」
「跡継ぎを産めって言われる」
「産むのはおれの分担になるけど……。ハルさえよければ、おれが男の役割をする。ハルが望むなら、おれがきみを抱く」
 思わず僕は、顔をおおった。
「あはは、ごめん変なこと言って。そんなことできないよな。だめでもともとで口にしてみただけ。そもそもハルの家と釣り合うわけないし。今のなし。忘れて。
 ただ、どこの誰とも知れないひとと結婚して、ハルがつらくなるよりは、ってそう思ったんだ。気分を悪くしたなら謝るよ」
「ちがう、ちがうんだよナツ」
 僕は両手でおもてを隠したまま首をふった。思いのたけがほとばしり、とどめることができなかった。
「そんなふうに考えてくれてうれしい。そうしたいよ。そんなやりかたで僕とつきあってくれるのはナツだけだってこともわかってる。ほんとうに、そうしたい。
 だけどできない。ナツは大事な友だちなんだ。きみとそういう関係になってしまったら、僕はきっともう、今までのような心できみに接することなんてできなくなる。どんな顔をしてきみと話せばいいのかわからなくなるよ。
 それに、やっぱりナツには見てほしくないんだ。僕や、僕の家の汚いところ、どろどろしたところ、醜いところなんか。きみを巻きこみたくない。ナツを変えてしまいたくないよ。僕は変わってしまうから、せめてナツには今のナツでいてほしい。
 ごめんね、こんなのわがままだけど、僕はきみを絶対に失いたくないんだ」
「ハル。ありがとう」
 僕の両手首を、ナツがつかんで顔からはがした。泣いているのが恥ずかしくて、僕はあらがった。
 両手で手首をとらえたまま、ナツはそっと寄せた唇で、僕の涙をぬぐった。
 その顔がゆっくりと下がってきた。ナツの大きな瞳が、答えを求めるような色をたたえていた。僕は自然に目を閉じた。
 どちらからともなく、吸い寄せられるように一瞬だけ感触をかすめ合った。ナツのそれは、やわらかく、かわいていた。
「友だちのキス」
 目をあけると、息がかかるほど間近でナツが微笑んでいた。
 突然悟った。友だちのキス、恋人のキス、家族のキス。そんな区別は意味がない。やりかたが問題なんじゃない。誰と、どんな気持ちでしたのか、それが重要なのだと。
「きみは大好きな友だちだよ、ハル」
 どうにか、僕も笑顔を作った。
「僕も、ナツが大好きだ」
 誰と結婚しようが、その相手と子供を作ろうが、世界でいちばん好きな女の子がナツだというのはずっとずっと変わらない。
 ナツは、いっそう目をなごませると僕の手首を離して立ち上がった。
「じゃあまた。送ってくれなくていい、ひとりで帰るね」
 一度視線をはずすと、たちまちナツの顔が正視できなくなって、僕はうつむいてナツが出て行くのを見送った。
 ナツと口づけを交わし合うのは、もうこれきりないだろうと予感しながら。
 これ以上忘れられない口づけは、二度と味わうことがないだろうと確信しながら。

20060516, 20141006
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