ふるふる図書館


第二部

第四話 親と子とそのいとこ



 ゴールデンウイークである。
 森川知世は、連休を利用して実家へ帰った。下宿している母の生家、七瀬邸とは、電車で三時間ほどの距離だ。
 貴重な休日は演劇同好会の活動についやしたいところだが、卒業をひかえた三年生としては、進路について両親と話をする必要があった。
 森川家は住宅街の中にある、平凡でつましい一戸建てである。大声を出せば、隣近所に筒抜けになる。庭も、猫の額ほどだ。広大な屋敷からもどってみると、こんなにせまかっただろうか、と感じてしまう。
 十五年間この家ですごした知世でさえそうなのだから、母はなおさらではないだろうか。実際、母は七瀬の家を訪れると、のびのびとふるまっているような気がする。
「お帰り」
 母の森川佳弥子(かやこ)が出迎えた。息子と同じ色の髪を短くまとめ、息子よりも少年めいた外見をしていた。口調はさばさば、身のこなしも、きびきびとして律動的である。
「ただいま。父さんは、いるの」
「ああ、ふとんをかぶって寝てるよ。ほかにすることないみたい、相変わらず。出不精だし、友達もいないし。ま、この辺をうろうろされるよりはいいけど」
 ふたりとも父の話題を出すとき、ご機嫌という気分になれないところで共通していた。父を起こさないように、そっと居間に入った。三時になるころだったので、おやつのしたくを始めた。なるべく音を立てないように。
 しかし、その甲斐もなく。
「おお、知世。帰ってたか」
 父、森川充(みつる)は、ティーカップのふれあうわずかな音も聞き逃さなかった。動物なみの聴覚と嗅覚で、食べ物の気配を察知するのである。ふだんは、話しかけても聞こえていないほど耳が遠いのに。
「ただいま」
 知世は、げっそりした気分で、よれよれのしましまパジャマを着た父を見やった。
「んん? こりゃあうまそうだなあ。柏もちじゃないか」
 言動のいちいちが、わざとらしくて、うっとうしい。
「食べればいいでしょ。ひとり一個だからね」
 母がわざわざ釘をさすのは、何も言わなければひとのぶんでもおかまいなしに、際限なく食べるからである。
 つくづくおかしな五十歳である。縦のものを、横どころかななめにもできないくせに、見目が悪くないせいか、二十代の愛人がいるらしいし。
 いったい、どんな外づらをしているものやら。

 進路について話しながらとった夕食のあと、知世は私室に入って、過去に思いをめぐらせた。高校入学とともにこの家を離れたので、もどってくると、いっきに高校入学以前の記憶や感覚がよみがえる。
 まわりを気にして、常におどおどしていた(これは、父の性分を多分に受けついだに違いない)。不器用のみならず、人目を気にしてどつぼにはまり、失敗ばかりだった(これも)。体が丈夫でなく、気持ちもすぐれなかった(これもだ)。
「うわーん。おれってやっぱり、森川の遺伝子が濃いんだ。父さんに似てよかったと思えるところなんて、一個もないのに」
 知世は居ても立ってもいられず、ベッドをごろごろころげ回って煩悶した。
 父に代表される森川の人間と、母をはじめとする七瀬の人間には、共通点がまるでない。ないどころか、まったくの対極に位置する。外見と内面を含むすべての点で。
 分類すれば、父方はネガティブでマイナス、母方はポジティブでプラスとなる。
 知世は、容姿こそ七瀬の遺伝子を色濃くついで見えるが、自分の中に父とそっくりな性質を見出して、ぎょっとすることがある。
 負の要素、心に巣食う暗闇。自覚するたび、ものうい気分になる。身をゆだねないように抗いつづけるのは、容易ではない。独りのときには。
 転機になったのは、実家を離れて七瀬の家に居候し、桜花高校に入ったことだった。
 高校を卒業し、七瀬邸を出れば、もとの森川知世にもどるという予感があった。今の自分でいるためには、環境にめぐまれるか、根こそぎ自分を変えるしかない。
 後者の案は困難だった。以前は、人にきらわれない明るい人間になろうと努力していたが、無理をしていることを周囲にさとられてしまうのか、まったくの徒労に終わったものである。
 そうかと思えば、母方の一族からさずかった社交性や陽気さや多弁さや前向きさが、ひょっこり表に出てくることもあった。どちらが本来の自分なのか、知世は翻弄され、困惑するばかりだった。
 この二面性をうまくまとめ、折り合いをつけるには、知世はまだ子供だった。
 思考や人格は、かなりの部分を遺伝に支配されているという。仕方のないことだと受け入れなくてはならないのかも知れないが、それでもあがきつづけてみたいのだった。
 昔からつきまとっていたこの悩みを忘れて生活できるようになったのは、そう、春日玲と出会ってからだ。
「あいつ、今ごろどうしているんだろう」

 十分後、知世は電話の子機を前に、うじうじ、うだうだしていた。
「電話って苦手なんだよね。しかも、かけたことのない家だし。あいつの家族構成知らないから、誰が出るかわからないし。あいつ、いるかどうかもわからないし」
 携帯電話が普及するには、あと数年を待たなければならない時世だった。まして高校生が所有するなど、さらに時代をくだらなければならない。
「ああもう、しっかりしろ、おれ。何をいつまでも、そわそわ、もじもじしているんだよ、いらいらするなあ。そういうところを変えたいんじゃないのか」
 我と我が身を叱りつけ、
「ええーいっ」
 受話器をひっつかんだ。
 短い呼び出し音のあと、
「はい」
 つながった!
「あの。春日さんのお宅ですか。夜分恐れ入ります。森川と申しますが、玲君はご在宅ですか」
「あいにく、出かけておりますが」
「あっ、そうですか……」
 せっかく、勇気をふりしぼって電話したのに。
「用件があるなら言いな、知世」
「はい……。え? 知世って?」
 受話器の向こうから、聞き慣れた笑い声がした。
「そんなしおたれた声を出すなよ。ほんと、わかりやすいやつ。うちの電話番号、よく調べたな」
「ああごめん。お前と同じクラスのひとに聞いたんだ、さっき」
「急用か」
「そうじゃないんだけど。今、話をしてもだいじょうぶ?」
「だいじょうぶじゃなかったら、最初にお前をからかって時間をつぶすようなことはしないさ」
「あのさ。玲はどうして、おれみたいなのとつきあってるの?」
「唐突な質問だな」
「だってさ、お前、もっと違う人と交流を持ちたがってるんじゃないの? 物知りで頭がいい人とさ。ほかにいくらでもいそうじゃないか。
 おれときたら、頭の回転は遅いし、融通はきかないし、内向的だし、口下手だし」
「ほほう、正しい自己認識だ」
「猫背ぎみだし、手が小さいし、冷え性だし、寝起きが悪いし(いやだな、父との共通点ばかりだ)」
「おまけに自虐的だし?」
 ちゃかすように玲がつけくわえる。
「二年前に会ったとき、お前に見透かされているみたいだった。おれのいやなところとか、欠点とか、全部。それなのに、なぜおれとのつきあいをつづけてるの?」
「何を言ってるんだ、熱でもあるのか。おおかた酒でも飲んで酔っぱらってるんだろう」
「あー。飲んだ飲んだ。夜ごはんのとき、親のご相伴にあずかって。いやそれはいいから。答えろよ」
「最初はいやがらせだな。おれに近づいてこられて、お前が困っているのを見るのがおもしろかった」
 はあ、いやがらせですか。やっぱり。
「今は?」
「知世、お前はおれのおもちゃだ。このおれが選んでいるんだから、お前が気に病むことではないだろう。もしおれがお前を見放したら、そのときに悩めばいいんだ。まあ、とうぶん見放すつもりはないから覚悟しておけ」
 過剰とも思える自信である。思わず知世は笑った。
「お前らしいなあ。玲のそーゆーとこ、おれ……」
 急激に睡魔が襲ってきた。なんだか奇妙にこころよい。あれ、やっぱり酔ってるのかな。まぶたが閉じる。
「もしもし? 知世?」
 耳もとに流れてくる玲の声を心地よく聞きながら、いつしか知世はクッションにもたれてうつらうつら眠りこんでいた。
 このおれに電話しておいて途中で寝るなど見上げた根性だと、玲にさんざんおしおきされるのは、また後日の話。

 知世は翌日の昼下がり、七瀬の館に到着した。
「うわあ、久しぶり、知世ちゃん。相変わらず可愛いねえ、うれしいわ。すっかりあたし好みに成長しちゃって」
 熱烈なキスを雨あられと降らせてくるのは、
「ふうちゃん。いつ日本に帰ってきたの?」
 二十九歳になる、いとこの七瀬芙雪(ふゆき)だった。革のライダースーツに身を包んで大型バイクを乗りこなし、毎日フィットネスに余念がない彼女に抱きしめられ、華奢な知世は息もたえだえだ。
「今朝ね。知世ちゃんとママの顔を見にきただけ、すぐLAにもどるけど」
「知世ちゃん、元気だった? しばらく見ないうちに、すっかりきれいになって」
「あっ、なっちゃんも来てたんだ?」
 諸手を広げて駆け寄ってきたのは、芙雪の二歳下の妹、七瀬菜月(なつき)。またもや抱擁と接吻の嵐を受け、くるくる振り回された知世はへとへとになった。
 姉はロサンゼルス、妹はパリに住みついたせいで、欧米風の陽気なスキンシップが得意になった、というわけでは全然ない。このふたりはもとからこうなのだ。
 屈託なく、天衣無縫で、天真爛漫な七瀬家の人びとを前に、やはり知世はあこがれをおさえられなくなるのだった。
「あたしも着いたばかり。あまり長いことこっちにいられないんだ。でもこの三人が揃うなんて、本当にめずらしいよね。
 そうそう、おみやげがあるんだった。知世ちゃんに似合いそうなスカーフも買ってきたんだよ。ほら、この赤いの、小粋じゃない?」
「ええ? これエルメスでしょ?」
 たじろぐのにかまわず、菜月が知世の首にスカーフを器用に巻きつける。芙雪が眼をかがやかせて、手をたたく。
「わあ、いいじゃない」
「よし、お次はこの帽子ね」
 知世は玲にとってはおもちゃだが、この姉妹にとっては人形らしい。しかも着せ替え機能つき。滝沢陽耶あたりが知ったら、さぞよろこぶに違いない。
 ひとつはっきりしていることがある。森川家も七瀬家も、変人を輩出していることでは、ひけをとらないということだ……。

20040621
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