第四話
「ううー」
ルームメイトの彼は、陽だまりでまどろむ白い子猫のように、軽く声を立てながら細い体をよじらせた。
「あ。起こしちゃった?」
畜生、起こしてしまったか。
「だって、うるさいんだもん」
「ごめんね」
舌足らずな寝ぼけ声は怒ってもとんと迫力ないが、僕はひとまず謝っておく。
「こんな早くから何してんのお?」
「大掃除。なるべく静かにやるから、きみは寝ていていいよ」
というよりむしろ寝ていてくれ頼むから。
「しなくていいよお、そんなの……」
「そうはいかないよ」
後で文句たれてくるのは誰だよ。
「年賀状もまだ書き終わってないし、師走は忙しいんだよ」
「ふうん……そお」
彼は口の中でむにゃむにゃつぶやき、やがて完全に沈黙した。
やれやれ、また寝てくれたようだ。ありがたい。今のうちに片づけをすませよう。
まずは手近な戸棚から手をつけた。奥をのぞきこむと、みおぼえのないものがある。
いったいなんだろうと手を伸ばそうとしたそのとき。
「ぐ!」
僕はうめいてその場にくずおれた。衝撃でしばらく口がきけなくなる。毎日なじんだこの痛み。決して慣れ親しみたくなかった!
「い、いきなり何するんだよ?」
蹴られた腹部をかばいつつ、涙をためて咳きこみつつ、まなざしを投げたその先に、最大級の不機嫌をパジャマ姿にみなぎらせた彼が仁王立ちしてにらみつけていた。
「貴様のせいで眠れないって言ってるだろうが。僕の眠りを妨げるなど不届き千万。不逞な輩は成敗する」
翌日。
昨日は力づくで阻止されたものの、今朝こそは何が何でも掃除しようと決意を固め、僕はベッドに身を起こした。
こんなに早ければ彼も起きやしないだろう。しかしさすがに四時だと寒い。誰のおかげでこんなに苦労してるんだ。ああ、なんて健気な僕。
ふと、枕元に目が留まった。その包みは、日時を勘案せずとも、どうひねくれた見方を試みようとも、クリスマスプレゼントとしか思えないたたずまいだった。
同室の彼のしわざでしかありえない。絶対に僕より早く寝て遅く起きるくせに。いったいいつの間に?
隣のベッドに首をめぐらせ、ぎょっとした。
彼がぱったり床に倒れ伏している。
ああ、まったく世話が焼ける……。
「ほら。こんなところで寝たら風邪ひくよ」
僕はベッドから降りると、彼の肩をゆさぶった。薄い暗がりの中、彼の瞳がぼんやりひらく。
「んん? ここ、どこ?」
「自分のベッドと僕のベッドの間。僕の枕元にプレゼントを置いた後に眠くて力尽きたんだろう? 無理しなくても、昼間直接渡せばいいじゃないか」
「だって……」
いやいやをしながら、もごもごと口ごもる。
戸棚に隠しておいたのを見られまいとして暴力沙汰に及ぶ彼には、逆立ちしたってできっこないか。
「とにかく早くベッドに入りなよ」
「うーん」
彼はまぶたが半分もあかない状態で、よろよろふらふら立ち上がり、ごそごそもぞもぞ毛布にもぐりこんだ。
「きみのベッドは向こう! これは僕のだ」
「だって僕のふとん冷えてるもん……」
「そりゃまあ確かにそうだけど」
寝ぼけてる割にどうしてそういう知恵が回るんだか。
「くしゅんっ」
彼の小さな唇から小さなくしゃみが飛び出した。
「大丈夫? あったまった?」
「んんー。まだ寒いよう……」
「あーあ。もう。ほんとに手がかかるなあ!」
彼の暗黙の要求を哀しいかな察知してしまった僕は、仕方なしに彼のわきに体を横たえた。
「これでいいの?」
「うん。ふたりでふとんに入るとあったかいね。よく眠れそう」
極上の笑みを浮かべてご満悦だ。
「はいはい。おやすみ」
今日もまた、大掃除は諦めなくては。でもまあ、クリスマスの朝、腕の中に天使をひとり捕まえたから、それでよしとしようか。
そうだ。まだ言っていなかった。桃色の冷ややかな耳にそっとつぶやきをすべりこませた。
「プレゼントありがとう」
くすぐったげに首をすくめて、彼がうっとりとしたささやきを返してくる。
「うん。メリークリスマス……」
「貴様。この手はなんだ、この手は」
つかのまのうたた寝からさめ、伸びをした僕の手の甲を、彼は邪険にぴしゃりと叩いて払いのけた。
「なんだって言われても」
不埒で破廉恥な行為に及んでいたわけでは断じてない。
「がさがさでぼろぼろ。乾燥しきって荒れ放題。見苦しいことこの上ない」
彼の代わりに僕がすべての水仕事を引き受けているせいじゃないか!
「おろしがねのような手で僕に触れるなど一万光年早い。痛いんだよ、僕の玉の柔肌が傷ついたらどう落とし前をつけてくれるんだ馬鹿め」
触りたくて触るものか。
隣に彼が寝ていることを失念した僕にもむろん非はあるが、そもそも僕のベッドに入ってきたのは彼の方だ。狭いのだから、意思にかかわりなく体が相手にぶつかるのが自然の理じゃないか。純粋な過失だと、声を大にして言いたい。他人が聞いたら誤解するような発言は慎んでもらいたい。
彼は寝ころんだ姿勢のまま、くだんのクリスマスプレゼントの包みをほどいた。贈り物の中身は、サンタ・マリア・ノヴェッラのハンドクリーム。
同じく横たわっている僕の手を取り、彼は甘い香りのクリームを塗ってくれた。
むっつりと怒った顔をしているくせに、やりかたは意外に繊細かつ丁寧で、触感のよいクリームで丹念にマッサージされる心地よさは表情の選択に困らせた。彼の目もとを隠し影を落とす長いまつげを、ただぼんやりと見つめる。
一段落つくと、彼は僕の指先を自分の頬にみちびいた。
「どうだ滑らかになっただろう。これでなら僕に触ることを許可する」
「う、いや、別に許可してもらわなくても。触らないでいいよ僕は」
素直な僕が正直な意見を率直に述べたとたん、彼は僕をベッドから容赦なく蹴落とした。
勢いあまって僕の背中が床で軽くバウンドする。
激痛に飲みこまれ、悲鳴も抗議も出やしない。
「ふん。好きなだけ水仕事でもやって来い。ぞうきんがけでも窓拭きでもして、しもやけあかぎれささくれに悩むがいいさ、この大うつけが」
捨て台詞を吐くが早いか、かけぶとんを頭からすぽりとひっかぶってしまったのだった。
篭城を決めこむにしてもそれは僕のふとんで、そこは僕のベッドなんだけどなあ。