第十四章 明け方に降る雪
うつらうつらしていたら、ドアチャイムが聞こえた。
「具合はどう? 食べ物買ってきたけど」
Nがコンビニの袋から、レトルトのおかゆやりんごを取り出した。
窓の外がほの明るい。雪が降っていた。部屋の冷えこみが激しかった。慶はNのために、急いで暖房をつけた。
Nは、コートを脱ぎもせずにキッチンに立って、おかゆを作ってくれた。
「熱は測った? 病院には行った?」
ふたつの問いを、慶は否定した。体温計など持っていないし、診察にはお金がかかる。
「測ってみてほんとうに熱があったら、気が滅入るじゃない。それにただの風邪なんだから、薬を飲んでじっとしてればなおるよ」
「体が弱いってこと、自覚してないだろ」
「弱くないよ。ずっと運動部だったし。体育会系なんだよ」
「全然、そうは見えないんだけど」
「よく言われる」
気安くやり取りをしながらありがたく食料にありつき、すすめにしたがってまた横になった。
「店、だいじょうぶだった? 人手、足りた?」
「うん、こんな天気だから客足も少なかったよ。慶が休みだって聞いてがっかりしてるお客さんはいたけどね」
「ふうん、そんな人がいるの。誰だろう」
「慶を目当てに来てる人、多いから。慶になら後ろから刺されてもいいって言ってる人もいるよ」
「ええー。そんなに根暗に見える? 健全さが売りなのに」
「よく言う。いつもにこにこしてるけど、どこかに陰があるってさ」
「どうせ幸薄そうに見えますよ」
他愛もない話をしていたら、また眠くなってきた。目がとろんとしてくる。
「今日はありがとう。ちゃんと帰れる? 駅まで雪で滑りそうだし。電車、とまってないといいね」
「おー、やさしいな慶君は」
彼が慶の手のひらをなでた。慶の体はびくりとした。
「何過剰反応してるの?」
彼は笑いながら、慶の手のひらをまた爪の先を軽くひっかくように滑らせた。
「悪かったな、くすぐったがりで」
中学生のとき、尋にもよくおもしろがられた。脇腹をちょっとつつかれただけで大きな反応をしてしまうのだ。一度発作にとらわれると、どこをどう触られても歯止めがきかず、普段は特にくすぐったくないところに尋の指が通っただけで、気が触れたように笑い続けた。涙で目がうるんで、体をよじって身悶えて、息苦しくなって、その場にうずくまっても、やめるように懇願しても、尋は攻撃を緩めなかった。
人に触られるのが好きでないのは、冷静でなく制御もできない自分が出てくるのが、怖いせいかもしれない。
「ほんと、感度いいんだなあ。ほら、手をなでてるだけだよ?」
慶は手をひっこめようとするが、彼はゆるく慶の指をなぞることをやめない。別に楽しくて笑ってるわけじゃないのに。感じているからといって、性行為が楽しいわけじゃないのと同じで。
相手の指先は、どんどん侵略の範囲をのばしてきた。
やめろと言っても、こういう状況において、相手が制止を素直に受け入れてくれたためしはない。どうしてみんな揃いも揃ってそうなんだろうか。
声の質が変わってきたのが、自分でわかった。呼吸も乱れてきた。せめて変な声が飛び出さないよう、口をしっかりつぐんだが、うめきは抑えられなかった。苦しくなって、唇が自然に開いた。
やっぱり熱があるんだと思った。いいようにされているなんて。
ふとんと毛布と寝巻をするりとかいくぐって進んでくる手を、防ぐこともできなかった。
しばらくして、彼はしれっと言った。
「さ、そろそろ寝ないと」
「ちょっと、冗談言うなよ。このままおとなしく寝られるわけ、ないよ……」
慶はかすれた声で抗議して、紅潮した顔で睨んだ。中途半端でやめるなんて生殺しだ。火をつけておいて無責任だ。
いつの間にか、寝巻をはだけられたあられもない乱れようをさらしていた。向こうはちゃんと服を着ているのにと、悔しかった。
「なんだよ、なんでひとりだけこんな格好してなきゃいけないんだ。ずるい」
その台詞が何をうながしているのか、かすんで朦朧とした慶の意識は判断できなかった。
「キスはいらない。そういう間柄じゃないだろ」
頭蓋にかろうじてへばりついた理性の残滓で、慶はそれだけ告げた。
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