ふるふる図書館


遠い星から来た王子



 ぼくはこの星でやっていけるのかな。
 それは今まで、幾度となく胸のうちでつぶやいた言葉。
 ほんとうに、この星で生きていけるのだろうか。

「またおまえか。いい加減にしろよ」
 上司の机まで呼び出され、作成した書類のミスを叱責されたぼくは、申し訳ありませんと何度も頭を下げた。小言から解放されて自分の席に戻るなり、ぐったりと力が抜けて机に突っ伏したくなったが、そんな見苦しい真似はもちろんできない。いつでも毅然としていなくては。ぼくは一国の王子なのだから。祖国を追放され、王位も能力のすべても剥奪されたとはいえ王の末裔であることに変わりはないのだから。
 ただ、この星で生きていくのに不向きなだけなのだ。
 故郷の星では、不可能なことなどなかった。魔術だって思いのままだった。
 この地球では何もかもまともにできない。勉強も仕事も、部屋の整理整頓も、掃除も料理も買い物も計算も、何もかも。
 ぼくは強大な魔力を持つがゆえに禁忌を犯し、神の怒りに触れ、愛する祖国を追われた。このような不細工な造作に生まれたのも、不器用で無能で愚鈍な人間に生まれたのも、あの星で犯した罪の償いのためだ。十分な報いを受けて罪が消えれば、ぼくはあの星へ帰れる。

 ぼくが王族の出であることを、誰も知らない。両親だって、自分たちの血肉を分けたごく平凡な子供だと思っている。遠い星の王子の生まれ変わりだと説明したところで、本気にしたことはなかった。表面上にせよ耳を傾けてくれたのは、ぼくが幼いころだけだった。
 誰もぼくの話を信じてくれない。
 中学生のとき、とある同級生のことがクラス内で話題になった。
「あいつってほんとキモオタだよな。自分は特殊能力を持つ、神に選ばれた存在だとかなんとかだって言い張ってさー」
 ぼくは、自分と同じ境遇の人がいるのかと思ったから本人が主張するその境遇を信じたのだが、皆に笑われたのだ。皆が言うには、ぼくは天然だそうだ。
 いったい、キモオタって何だ? 天然って何だ?
「あんなの、妄想に決まってんだろ。あいつが自分で作った設定だよ、マジで痛いよな」
 そうか。ぼくとは違うのか。少し落胆した。ぼくの仲間はこの星にいないのだ。否、傷の舐め合いはしてはならない。独り敢然と試練に立ち向かわなくては。

 高校生になり、ぼくは隣のクラスの男子生徒から呼び出された。一対一で話すことなど心当たりがないまま指定された裏庭に行くと、相手はぼくのことが好きだと言った。
 ぼくは恋人など作らない。置き去りにしていかないとならないからだ。
 それにぼくには性別がない。地球の人間とは違うのだ。女の器に入っていても、女ではない。これはほんとうのぼくではない。
 ぼくは相手の気持ちに応えることができないから断った。それが相手の自尊心をいたく傷つけたようだった。そのうち何かにつけてぼくを侮辱するようになった。
 頭が悪くてブスのくせにお高くとまって誰も寄りつかない女。妄想ばかりしているキモイ女。
 そうなのだろうか。もしかしたらぼくも、中学のあの同級生のように、妄想しているだけなんだろうか。前世は魔法を使えた遠い星の王子だったというのは、ただの夢なんだろうか。ただの痛い奴なのだろうか。
 違う。
 ぼくはこの星の者ではないから、涙など流さない。
 何ひとつうまくいかなくたって。何ひとつ望んだことが叶わなかったって。誰ひとり理解者がいなくたって。ぼくは決して泣かない。

 誰もが簡単にできることが、ぼくにはできない。どうにか仕事を得て、事務員と呼ばれる身分になってはみたものの、そのうち解雇されてしまうかも知れない。まったくの役立たずだから、ここにいる意味などない。
 そもそも、ぼくがこの星にいる意味があるのだろうか。誰のためにもなれないで。
 いつぼくの罪はあがなえるのだろう。いつすべてが許されて、遠い星へ帰れるのだろう。いつ元通りの姿になれるのだろう。
 勤務時間は終了していた。帰ろうとしてのろのろと立ち上がったら、同僚に声をかけられた。
「今日、空いてるならふたりで飲みに行かないか?」
 異性、という存在とふたりで行動すると、厄介なことになるらしい。しかしそんなことを考えるのすら億劫で、ぼくは生返事をして後についていき、居酒屋という場所の個室めいたところでテーブルを挟んで向かい合った。
 なんだか、やぶれかぶれの気持ちだった。罰が下ったってかまわない。
「ぼくは、秘密にしていることがある」
 とうとう切り出してしまった。いつも自分を「わたし」と呼んでいるぼくが「ぼく」という言葉を使ったせいか、相手はぼくに興味深げな視線を送った。酔いに任せてぼくは自分の素性を明かした。洗いざらい吐露した。
 彼は動じなかった。酔っ払いの戯言だと思ったのだろうか。ぼくは、安堵と悲哀と悔しさがない交ぜになった心持で相手を見つめた。相手はぼくを静かに見つめ返して問うた。
「帰りたいのか?」
「帰りたい。二十数年もここにいる。もう帰りたい」
 すると、彼の手が伸びてきて、ふわりとぼくの頭に置かれた。

「帰るな。星になんか帰るな。ここにいろよ」

 ぼくの瞳から、滴があふれた。
 話をはじめて信じてもらえてうれしいのか。酒の席で話を合わせてくれているだけなのが悲しいのか。同情されたのが悔しいのか。なぜなのかわからない。泣いた経験がなかったからだ。
 やはり罰は下った。
 涙を流してしまった。
 たった今、ぼくは地球の人になってしまったのだ。
 もはや遠い星に戻れることはないのだ。
 涙はさらにこぼれ落ちた。

20090907
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