ふるふる図書館


おかわり3 ドゥ・ノット・ディスターブ



 そろそろ、結婚十周年なのだそうだ。実家に寄ったときに藤本が切り出してきた内容によれば。
「改まってなんの話かと思えば。子供ができたとか言い出すのかと」
「へえ、弟か妹ほしいの?」
「三十代半ばにして脱一人っ子ねえ。まー、こっちには口を挟む権利ないわ。俺は、人口増やして少子化に歯止めをかける役はできねーからな。……で、今の話のどこにニヤニヤするポイントがあったわけ?」
 それにしても、十年か。「大学で知り合った人と再婚を考えている」と父親がこいつを自宅に連れてきてからそんなにたつのか。高校時代の同級生を目の前にして嫌な夢かと思ったが、その認識はいまだに変わらない。

「続きを、木下君、読んで」
 古典の授業中、ぼんやりしていた俺を教師が指名した。はて。教科書のどこから読めばいいんだっけ。ま、テキトーな文章から読もうかな、まちがえてたら笑いが取れるしなと思いながら起立したが、隣の席の生徒が心配そうな目を向けてきたから、俺は聞いてみた。
「何ページから?」
 急に俺に話しかけられて、相手はひどく驚いた顔をしたが、おずおずとページ数を教えてくれた。
「で、何行目から?」
 先生にばれないようにか小声でこそこそと答えてくれるので、立っている俺にはうまく聞き取れない。俺は別に、教師に睨まれようが屁でもないんだけどな。腰をかがめて耳を寄せているうちに、クラス中の視線が俺たちに注がれていた。それに気づいた彼は、真っ赤になって下を向いてしまう。小柄だし、なんだか小動物みたいだ。
 指示された部分は源氏物語の「若紫」、光源氏が幼女を見つけるところだった。俺は芝居っ気たっぷりに、真面目とおちゃらけの微妙なラインを保ちながら朗読し、教師の渋面と同級生たちのくすくす笑いをゲットした。
 授業が終わり、さっそく彼に笑いかけた。
「さっきはマジありがと。浅井君、やさしいねー大好きだよー」
 誰にでもそうするように、いつもの調子で軽く言ったのだが、
「えっ。あ、いや、別に」
 ぼそぼそつぶやいて、相手はさっさと教室を出ていってしまった。トイレでもがまんしてたんかな、とのんきに考えたら、「木下君」と女子の声が背後からかけられた。
「なに、浅井君のこといじめてんの?」
「ほえ? いじめてる? 俺が?」
 きょとんとして聞き返す。振り向いた先にいた生徒は諭すように言った。
「浅井君はね、内気でおとなしくて、そーゆう冗談は通じない子なんだからね?」
「って、さっきの俺の? 全然冗談言ってねーけど」
「ふーん。じゃあ本気なんだ。やだ、木下君たら浅井君が好きなのかあ。わー」
 俺のちっとも重みのない発言を検分されても不毛だ。
「なにを妄想しても自由だけど、頭の中だけにしといてね?」
 ゆるい笑顔は崩さなかったものの、若干めんどくさくなってきて話を閉じた。これが、藤本あつみとの初めてのまともな会話だった。

 同様の会話は、折にふれて繰り返された。浅井君のことだけではなく、山野君のことだったり加藤君のことだったりだが、内容は似たり寄ったりだ。怒ったり責めたり詰問したりしているわけではなく、興味や好奇心のようだったが、いいかげんうっとうしくはなってきた。
「本気か冗談しか口に出しちゃいけねーの?」
「木下君とオナチュウの子に聞いたよ。『好き魔』なんだってね」
「だってみんな好きなんだもん」
「博愛主義に文句はつけないけど。狼少年みたくならないようにねー」
「俺は嘘なんかついてねーよ?」
「いざってときに信じてもらえなくなるってことだよ」
「『いざ』って?」
「そーか、木下君にはまだ『いざ』がないのか。ふふふ。まっ、木下君に好きって言われて困る子もいると思うからねー気をつけてね」
「うわあやっだあ俺って嫌われてんの?」
「えー、ご謙遜。木下君のこと嫌いな人なんていないんじゃない?」
「藤本は、人の心理に詳しいわけ?」
「ふつうだよ、木下君が鈍いだけなんじゃないの? そんなに頭がいいのにね」
 あの、父親の友人と同じようなことを言うんだなこいつも。にこにこ仮面をかぶって、俺は藤本に顔を近づけた。
「じゃあさ、教えてくれる? ひとでなしで軽佻浮薄で貞操観念のない俺にさ?」
「あたしに教わる気ないでしょほんとは。あたしも教える気はないからお互いさまだね。そのうち見つかるんじゃないの? 『いざ』を知らせてくれる人がね」

 藤本に絡まれるのがうざくなってきて、好きと言いまくるのは自粛した。そのかわり、へらへらぺらぺら、しゃべる量を増やしたし相手をほめることも多くしたから、気にとめる人もいなかったと思う。そんなもんだろう、俺の言葉の価値なんて。藤本は変化に気づいただろうけど。
 誰にでもしまりのない笑顔で接する俺だけど、嫌いな人間なんていないはずの俺だけど、はっきり感じた。藤本は好きじゃない、と。
 それは、二十年近くたった今でも、だ。

「桜田君には発揮してんの? 『好き魔』の本領」
「ひみつっ」
「その歳で可愛く言われてもねえ。あとさ、お母さんには会わないの?」
「さりげない世間話にまぎらせてぶっこんだつもりでいるだろ、それ」
「てへへ。ばれたか」
「会わねーよ。お互い必要としてないんだからいいんじゃね?」
 俊介少年はまだ幼いころ、お母さんに捨てられました。そのことは、愛情に関する俊介少年の観念を大きくねじ曲げてしまいました。誰にも拒まれたくない彼は、みんなのことを好きでいると思いこみ、はばかることなく態度で表し、惜しげもなく笑顔と好意を振りまき、遊び相手に事欠かず、その反面誰のことも愛さずにおとなになりました。
 てな感じの解釈が、藤本のなかではできあがっているんだろうな。職業柄、関心あるだろうし。
 ほんと勘弁してほしい。俺はそんなストーリー、いらないから。事実であっても。
「そっかあ。まあ、あたしに遠慮することないからね? いや、そんなんないか、木下君のことだから」
 父親が藤本を再婚相手に選んでよかった点を、強いて、無理やり挙げるなら、俺の実母とまったくキャラがかぶらない人間だということだ。ていうか、それくらいしかない。
 あまり公葵に近づけたくないのに、ふたりは連絡を取り合ったり会ったりしているらしい。彼ママとうまくやっていけない悩みを持つ人が巷には大勢いるわけで、公葵と藤本が仲がいいのはよろこぶべきことだとわかってはいる。
 だけどやっぱり、こいつは嫌い。

20151004
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