ふるふる図書館


おかわり1 スイート・ブラック・コーヒー



「へえ、コウちゃん、大学生やってるんだ」
 俺が感嘆の声を上げると、コウちゃんは「えへへ」と笑って、アイスコーヒーのグラスに刺さったストローを両手の指でつまんだ。照れてるみたいだ。今年で二十七なのに、そのラブリーさとキュートさを保つ秘訣はいったいどこにあるんですかね。
 休日、ばったり駅で会った俺とコウちゃんは、駅ナカのカフェでお茶をしていた。今日はなんてついてる日なんだろう。久々に見るコウちゃんは、ちっとも変わっていない。
「通信制って、入試ないからさ。そんな大層なもんじゃねーよ」
「いや向上心があってすごいよ。なにかきっかけあったの?」
「うーん……。教養がなさすぎるのって、やっぱ駄目だなって思って。どうせ勉強するならちゃんと学位とろうかなって。あんまり馬鹿だと木下さんに呆れられちゃうし」
 あっそ。木下さん、ね。
 その名を聞いても、俺は爽やかなほほえみを一ミリたりとも揺るがせない。職場でも、この歳になってまでいまだに「王子」と言われているのだ。このスマイルを通用させたい相手にはまったく届かないので、効力は疑わしいのだけれど。
「木下さんは、そんなことでコウちゃんのこと嫌にならないでしょ」
「んー。そおかなあ」
 ストローでしゃくしゃくと氷をかき混ぜる。
「あ、でも。やっぱり嫌がられてるかも。勉強してるとじゃましてくるし」
「じゃま?」
「うん。やたらくっついてくるんだよね。んーと、ちゃぶ台の前であぐらかいて本読んでたりするだろ、そうすっと、背中にのしかかったり、腰にぐるっと体を回して巻きついてきたり、俺の匂いかいできたり、ちゃぶ台の下くぐって俺の膝に頭のっけてきたり。ちゃぶ台ってもガラステーブルだから、丸見えなんだけどさ」
 猫か。かまってほしい猫か。
「でさー、いいかげんうっとうしいから急にむずかしい問題を振ると、すらっと答えるの。ほんと腹立つわ」
 と言いながらもコウちゃんは笑ってる。はいはいのろけですねごちそうさまです。
 ストローをぱく、と口にくわえて、俺のことを上目づかいに見るコウちゃん。ああ、あざとい。あざと可愛い。あどけなくて無防備なのがいっそうタチ悪い。
 俺がコウちゃんを意識したあのときだって、コウちゃんは無自覚で無意識だった。本人は十中八九おぼえてないだろうけれど。
 ひよわで人見知りで引っ込み思案な子どもだった俺は近所の悪ガキたちにいじめられていた。子ども会への参加は苦行だったが、親の意向に逆らうこともできず、その日の夕方も俺は重い足取りで会に向かっていた。
 放課後、子どもが自由に遊んでいいことになっているその建物は、記憶はさだかでないが学校か幼稚園の庭に建てられた小さなプレハブ小屋だった。ドアを開こうとしたがびくともしなかった。手がぎくりとこわばる。俺をいじめている子たちが中から鍵をかけたのだ。
 今にして思えば、閉じこめられたわけではないのだから焦る必要もないし、他の子供も来るはずなのだからただ一瞬俺が困るだけにすぎないのだが、気の弱い当時の俺はそれだけで泣きそうになった。
 おろおろと立ち尽くしていると、ひとり子供がやってきた。ドアノブをひっぱって開かないことに気づくと、さっさとドアを離れた。巻き添えにしてしまった、と申し訳ない気持ちで下を向いていると、その子はドアの横にある窓をがらりと開ける。そこに鍵はかかってなかったのだ。よいしょとよじのぼった姿がたちまち向こうに消えるのを、俺はあっけにとられて眺めていた。
 すぐに、がちゃり、という音がした。開いたドアの向こうにその子が立っていた。
「あ、りがと……」
 視線をそろそろとその子の顔に向けて、気づいた。
「あご、血が出てる」
「あ、ちゃくちにしっぱいして、ころんだ」
 無造作に言って、ポケットからハンカチを出すと拭いた。ごめんなさいと謝ることもためらうほど、なんでもなさそうな態度で。実際、本人にとっては取るに足らない出来事だったんだろう。でも俺がまったくできないことをさらりとやってのける存在がまぶしく、強烈に鮮烈に印象に残ったのだった。
 それが、コウちゃんだった。
「俺も、コウちゃんと同じ大学に入学しようかなあ」
「涼平、リア充大学生やってたじゃん」
「そうでも、ないよ」
「モッテモテだったくせに。いや今もだ。万年モテ期だ。ふつうの人は三回しかないのに。ずりーぞ」
「コウちゃんさ、木下さんがロンドンに行ってる間、女の人にアプローチされてたじゃない、何人か。でも進展しなかったんでしょ、結局」
「あー、そうだったっけ……。どうもしっくりこなくってさ」
「そうだったっけ」で片づけられてしまっている人たちに同情しながら、俺はにっこりした。
「俺もね、そういうこと」
「えっ、涼平好きな人いんの?」
 俺はその素直すぎる声に吹き出してしまった。
「語るに落ちるっていうのかな、それも。コウちゃん。要するにそれは、自分があの人以外とはしっくりこないって意味だよね」
「え……? あ……。え?! あっ」
 少し遅れて理解がやってきたようで、耳まで真っ赤になってうろたえている。
 それでも、否定はしないんだね。否定する必要がなくなった、てことかな。
 俺はさめかけたホットコーヒーをブラックのまま口に運んで、苦いためいきごと飲みこんだのだった。

20150922
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