第5話 ロシアン・ドール russian dolls 3
「ねえ、チョージョーって? なんですか?」
「辞書ひけよコーコーセー」
俺の質問にこたえて耳元に落ちてくる声。くすぐったくて、つい目をつぶってしまった。
「今日はさんざんひきましたもん」
ちょっとふてくされた口調で口をとがらす俺。くつくつと笑いが返ってきて、俺の体もそれにつれて少し揺れた。
「じゃあ、辞書と友達になれただろ?」
「いーえ。おそいかかられましたよ広辞苑に。足の親指を攻撃されました。どすっと。そりゃもう、ジャンピングニードロップのよーに。完璧きらわれてます」
「ありゃー。そりゃ痛かっただろ。どりゃどりゃ」
「わあっ、触んないでくださいよー」
その生き生きっぷりは絶対に、いたずらする気まんまんだ。俺の本能が逃げろと警告している。身をよじって避けようとするも、巻きつけられた木下さんの腕でがっちりホールドされたままだった。ベアハッグかよ。誰のせいで負傷したと思ってんだよマジで。
「で? チョージョーは?」
「こだわるねお前」
「言えないような意味ですか」
「これ以上なく満足でよろこばしいこと。わかったか、コーキ」
……え。
たしかに木下さんついさっき言ったよな? 俺のことをぎゅって抱きこんだときに、「このまま死ねたらチョージョー」だって。うわ。なんてこと、なんてこと、なんてことーーー!
「うわ」
回想からさめて俺は思わず立ち止まった。
プライベートでは、俺のことコーキって呼ぶこともあった。プライベートじゃなくても、俺にあれこれちょっかい出してスキンシップをはかってきていた。俺だって、たまに、たまーにだけど、木下さんのことを俊介さんって呼んだりもしてたんだ。
いつから、それらがなくなった? なんで? 俺はそんな関係をいやだと感じたことなんて一度だってなかったのに。今だって互いの家を行き来したりもしているし仲たがいをしたわけじゃないけど、あーいう触れ合いじゃれ合いはもう、ない。
ポケットから携帯を取り出した。画像を呼び出す。高校生の木下さんののほほんとした笑顔が映し出された。藤本さんが席を立った隙に卒アルのページを撮ったんだ。
だけど。別に人目を盗んでこそこそしなくたっていーじゃないか。藤本さんにからかわれたかもしんないけど、ネタとして堂々と写メればよかった。「みんなに見せよう」とかなんとか言ってさ。
おかげで誰にも見せられない、秘密になってしまった。俺だけの。
今の俺とそう変わらない年頃の、木下さん。俺の知らない人たちとはしゃいだりふざけたりしていた、俺の知らない木下さん。
もし。俺とそのころ出会っていたら。
もし。俺と同じ年だったら。
もし。十代のころを一緒にすごせていたら。
藤本さんに見せていた面に俺も接することができただろーか?
ああもう、にっくきマトリョーシカめ。くそ。
ボタンを押して待受け画面に戻し、ぱたん、と携帯を折りたたんだ。
木下さんとのことは、ほんとうに、なんでもない。ずっとそう言ってる。だって、そうじゃなければ、二十歳の誕生祝いのあの夜は最低な思い出になってしまうじゃないか。あんなに楽しかったのにそんなの、ありえない。
俺たちは、なんでもないんだ。だから……。
「彼女、見つけよう、かな……」