ふるふる図書館


第6話 トライアングルはあやしいにおい。1



「あのう。現代美術の本を探しているんですけど」
 閉店時刻が近づいてきた売場でお客さんに声をかけられた。
「あ、はい。こちらです」
 俺は先に立って歩き出した。口がぱんぱんに腫れてる上にマスクをしているのでめっぽうしゃべりづらい。今日はちょっと接客するの苦手だなあと思っていたら、木下さんがさっとやって来て案内を代わってくれた。やったあ助かった。
 そうこうしてるうちに営業終了の音楽が店内に流れ出した。片づけやレジの締めをすませ、タイムカードを押し、高校の制服に着替え、挨拶をして外に出る。そこで木下さんにつかまった。
「さっくらだ? 一緒に帰んね?」
 学生みたいな誘い方だなあいい年したサラリーマンのくせに。
「え、でも昨夜もだったから。悪いっすよ」
 前日はよろこびいさんで乗せてもらったが、さすがに連日送ってもらうほどあつかましくはない。方面は同じでも、ご近所ってわけでもないみたいだし。
「まーいーからいーから。交通費支給してねーし、俺たちいつもシフト重なるわけじゃねーし、遠慮すんなって。ちょっと話もあるし」
 常と変わらぬ全開のへらへら笑いの底にひそむ真意が読めない。なんだろ。俺なんかミスったのかな。そんでお説教でも食らうのかな? それでも混雑する電車で帰るよりは車のほうがずっと快適だし楽ちんだと、また木下さんのナビシートに座ることにした。
「話ってなんですか?」
 シビックが交通の流れに乗ったころを見計らって切り出した。
「マスク取れば。じゃまだろ」
「笑うんでしょ?」
「笑わねー笑わねー」
「その顔とその声でどう信用しろと」
 むっつりしたけど、うざったさにはかなわなくて結局はずした。開放感から「はあ」と大きな吐息がもれた。
「それで、話は」
 お小言ならさっさとすませてもらいたい。ひそかに覚悟していたら木下さんは即答した。
「ない」
「は?」
「話があるってのは対外用の口実。お前、俺と帰るのいやか?」
「えっべっ別にいやじゃないですけど」
 俺はぼそぼそ答えた。なんだこの意味深な台詞は? 俺の鼓動はまた勝手にどっどっどっと速くなった。固唾をのんで木下さんの横顔がまた口をひらくのを見つめた。
「なるべく誰かと一緒に帰らないと危ないからなあ」
 がっくりした。無意識に声音がふてくされる。
「するってーと俺は集団下校しないといけない小学生ですか?」
 そんな俺を歯牙にもかけない木下さん、少し真面目モードになった。
「お前狙われてるかも」
 へ? 誰に? ゴルゴ13?
「今日、現代美術の本を聞いてきたお客さまがいただろ。前は物理学の本のことを聞いてきた。その前は現代宗教学。さらにその前は『ONE PIECE』の四十二巻はもう出てますかと。それよりもっと前はLinuxについての本。全部お前にだけ話しかけてきてるんだぞずっと。お前の顔もいっつも凝視してるし」
 まるっきり記憶にない。その人がどういう人相風体だったかもまったくおぼえてない。
「閉店して俺たちが帰るとき、そのお客さまが外にまだいるってこともあったしな。お前をつけまわすストーカーじゃないなんて言い切れないだろ」
「俺、誰かに恨まれるおぼえないですよ?」
 首をかしげたら木下さんに吹き出された。
「恋慕されてるって考えねえ? ふつう」
「レインボー?」
 インドの山奥で修行するレインボーマンが頭に浮かぶ。
「レ、ン、ボ」
 トンボとかマンボとかサンボとかダンボならわかるけど。俺がマラカス持ってマンボ踊ったりサンボで戦ったりしてどーすんだ。あ、ちびくろもありかサンボは。エメリヤーエンコ・ヒョードルをまっさきに思い浮かべてた。
「恋い慕うと書いてレンボ」
「ふうんなるほどー。ってその人男ですよね? 俺そういう方面さっぱりなんですけどっ」
 女の子にまちがわれるほど可愛いとか小柄だとかいうならわかる気もするけどさっ。
「まあ世の中物好きがいるからなあ」
 手延べそうめん揖保の糸みたいにつるりとのたまう。ひでえなあ。と憤慨する隙を与えず、木下さんの口調がまた真剣みを帯びた。
「でもほんとに気をつけろよ」
「それで送ってくれたんですか。ありがとうございます」
 俺のこと気遣ってくれてるんだと思ったら素直に嬉しかった。
「ま、俺もお前といると楽しいし」
 木下さんがにやりとした。せっかくの幸福感に冷水を浴びせられた俺はぎくりとして反射的にドアにひっついた。そうだ俺、木下さんについ最近襲われてんだった。思い出すの遅えよ。猛獣から逃げて別の猛獣の檻に飛びこむようなもんじゃん。知らない猛獣よりは知ってる猛獣のほうがはるかにましだけどさ。いやいや比較の問題じゃねえだろ究極の選択じゃあるまいし。どっちもきっぱりヤダっての!
 俺のおびえを悟ったか、木下さんがけたけた笑う。
「ははは、心配すんな、アヒル相手じゃおかしくてちょっかいもかけらんねえよ」
 ちぇっ、やっぱり笑うんじゃんっ。アヒルくちばしは魔よけか。くそう、こんなお守りいらないよう。

20060717
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